8月, 2008 | 平和フォーラム

2008年08月31日

2008在日朝鮮人歴史・人権週間全国集会(08月30日~31日 さいたま市大宮ソニックシティ)

 

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平和フォーラムが、朝鮮人強制連行真相調査団や在日朝鮮人人権協会とともに、 2007年から開始した「在日朝鮮人歴史・人権週間」は国連人権委員会ディエン報告 書(2006年1月)が指摘した日本の差別についての歴史性を明らかにするものです。 2008年は、春に関西中心に阪神教育闘争60周年で行ったのにつづいて、夏・秋には、 1923年9月1日の関東大震災と朝鮮人虐殺から85周年で、軍と自警団による虐殺につ いての国の責任と謝罪、真相調査を日弁連が80周年時に政府へ勧告した点を、改めて 問い直すものとしてとりくまれました。8月30日には、さいたま市の大宮ソニックシテ ィ国際会議室に約300人が参加して全国集会を開催しました。オープニングには劇団 タルオルムによる地震時の在日の姿を再現する「記憶」と、1999年に日弁連に人権侵 害救済の申立を行った故文戉仙さんのビデオと遺族の方からの証言。関東大震災時に 知人が虐殺されるときのことが語られました。つづいて、委員会共同代表の清水澄子 ・平和フォーラム副代表の主催者あいさつなどのあと、シンポジウム「今問われる真 実と責任、そして現在」を石田貞・埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団日本人側代表、 山田昭次・立教大名誉教授、梓澤和幸・弁護士、前田朗・東京造形大教授のメンバー で行いました。31日には、常泉寺の追悼碑や戦争末期に朝鮮人労働者が多数働いてい た吉見百穴そばに築かれた中島飛行機の大規模な軍需地下壕跡などのフィールドワー クを行いました。  →全国集会のアピール文  →朝鮮新報  →朝鮮新報・主な発言内容  →チラシ(pdf)

 

 

 

2008年08月30日

2008『在日朝鮮人歴史・人権週間』全国集会のアピール文

『在日朝鮮人歴史・人権週間』実行委員会

 『在日朝鮮人歴史・人権週間』実行委員会は、日本人と在日朝鮮人が共に在日朝鮮人の過去の歴史を知り現在の人権状況を考えるために、関東大震災時の朝鮮人虐殺85年に際し、埼玉県において全国集会を開催した。

 私たちは、この事件の歴史的事実と国際的な人権の視点で、以下のことを確認した。

 第一に、関東大震災時の朝鮮人虐殺は、日本政府による「戒厳令」の下で、政府による「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行」(9月3日、内務省電文)との虚偽事実の伝達行為に誘発された自警団による虐殺である。また、軍隊が直接朝鮮人、中国人を虐殺しており日本政府の責任が明確であることを確認した。

 第二に、日本政府は震災後に真相究明と責任を明確にすべきであるが調査を妨害し、さらに官僚も軍隊も誰も処罰することもなく、自警団に責任を転嫁した。故に、自警団に対する裁判でも朝鮮人虐殺に対する罪は、警察署襲撃、日本人虐殺に比べ最も軽く、以降、朝鮮人を虐殺しても「たいした罪にはならない」との命の重さまで差別する結果となった。

 第三に、この事件はジェノサイドであり、1968年11月26日の国連総会決議により「時効は適用されない。」とされている。当然、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の日本政府の責任は現在に継続されている。

 しかし、日本の現状は深刻である。

 2000年4月、石原慎太郎・東京都知事による「震災が起きたら騒擾事件が想定される」との事実無根の発言が国連人種差別撤廃委員会で論議され勧告がなされた。この時、日本政府は石原発言を擁護したが、このような政府の対応は世界的にも類例がなく、この事実の報道もなかった。故に国連特別報告者は日本の現状を「差別の歴史的・文化的根深さが日本では認識されていない」と指摘した。

 2002年9月、日朝平壌宣言では「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」。

 2003年8月、日本弁護士連合会は関東大震災時の虐殺に対し、日本政府に「全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである」と勧告した。

 しかし、日本政府は国連委員会勧告も日朝平壌宣言も日弁連勧告も無視し、自らの責任を放棄する一方で、朝鮮民主主義人民共和国に対する「制裁」、在日朝鮮人と朝鮮総連に対する弾圧を加えている。

 日本政府の「制裁」措置は、関東大震災時と同様に朝鮮民族に対する排他の差別感情をあおり、在日朝鮮人の生活と人権をも極度に脅かしている。

 私たちは、関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相と教訓から、過去を繰り返しかねない日本の現状を憂慮する。日本の近現代史はアジア侵略と植民地支配の歴史でありその責任は、現在も継続されている。

 私たちは、日本政府が過去の加害の歴史と教訓から平和と友好のためには日朝関係を改善させることが不可欠であり、そのためには「制裁」措置を即時撤回することが求められていることを今、強くアピールする。

 私たちは、歴史の隠蔽・歪曲を許さない力強い声を、関東大震災時の朝鮮人虐殺85年を契機にさらに幅広く力強く推し進めることを、ここに宣言する。

*ここで使用する「朝鮮」とは南北朝鮮全体を包括するものであり現在の国籍に限定されない概念である。 

2008年08月15日

戦争犠牲者追悼、平和を誓う集会誓いの言葉

フォーラム平和・人権・環境代表 江 橋 崇

 本年も、8月15日がやってきました。数えれば、63回目の終戦記念日です。すでに2世代以上の時の経過があったとはいえ、先の戦争の被害は、なお多くの方々の心と身体に大きな傷跡となっております。戦争におけるすべての犠牲者への慰霊と、今日なお被害に苦しむ方々への慰謝のまことを表します。

 昨年の今日、私は、戦没者の方々に、参議院選挙後の新しい日本の政治と、六カ国協議の妥結による北朝鮮の核問題の解決への期待をご報告し、朝鮮半島のデタントと、北東アジアにおける平和への希望を述べさせていただきました。その後、事態は、各国の思惑に振り回されて遅々としていますし、日本の外交的なリーダーシップを見ることはできていませんが、それでも、全体としては、デタントに向いた大きな時の流れは維持されています。このことのご報告が、少しでも皆様の魂を安らげ、癒すことになるよう、お祈り申し上げます。

 本年は、昨年と同様に、私たちのこの式典に、江田五月参議院議長、横路孝弘衆議院副議長にもご参加いただきました。福田首相は独自にいらっしゃいましたが、来年は、私たちの式典に、新しい内閣総理大臣と、できることならば最高裁長官もご参加いただき、ともに戦争を省みて、平和への誓いを深めたいと思います。また、新しい国会において、靖国神社問題の適切な解決と、共同墓苑の建設の計画がすすむことも期待しております。

 今を去る60年以上の昔、南の陸において、あるいは北の海において、そして、アジアの空において、皆様が願いつつ逝かれたいくつかの思い、とりわけ、戦争の責任の明確化、北東アジアの平和と人々の安全、安心な暮らしの実現に向けて、私どもはなにをなすべきなのでしょうか。私たちなりに考えて行動してまいりましたが、今日を機会に、もう一度皆様のお心を学び、さらに決意を固めて、努力いたしたいと思います。

 今、北京では、オリンピック大会が開催されています。この大会に向けて、北京は様相を一変し、見違えるような近代都市になりました。中国選手が各方面で大活躍しています。また、日本選手が優勝し、日の丸が掲揚され、君が代が吹奏されています。21世紀の今日、日本と中国の関係は大きく変りました。しかし、その根底に流れる、北東アジアの不戦と平和への願いには変化はありません。私どもが今依拠しようとしているのは、そうした、普通の市民の平和への願いであります。ふつつかですが、懸命に努力いたしますので、どうぞ、お心安らかに、お見守りください。

 おわりにあたり、もう一度、皆様の魂の安らがれるよう、まことをささげます。 

2008年08月15日

戦争犠牲者追悼、平和を誓う集会(千鳥ヶ淵戦没者墓苑)

 

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例年にもましてうだるような猛暑の8月15日、平和フォーラムは東京・千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑で戦後63年の「戦争犠牲者追悼・平和を誓う集会」を行い、各団体の代表など約200人が参加しました。 集会はI女性会議の中村ひろ子中央常任委員の司会・進行ですすめられ、12時の黙とうに続いて、江橋崇・平和フォーラム代表、川内博史・民主党衆議院議員、福島瑞穂・社会民主党党首(参議院議員)による「誓いの言葉」が述べられたあと、土井たか子・元衆議院議長(衆議院議員)をはじめ各団体・参加者による献花が行われました。

なお、平和フォーラムは昨年につづいて千鳥ヶ淵墓園での追悼を衆参両議院の議長・副議長をはじめ各議員に要請し、江田五月・参議院議長、横路孝弘・衆議院副議長や大河原雅子参議院議員、阿部知子衆議院議員がこれに応えて、参拝しました。

平和フォーラムの誓いの言葉

 

2008年08月10日

2008平和の灯を!靖国の闇へキャンドル行動-ヤスクニ・戦争・貧困(日本教育会館)

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8月10日、東京・一ツ橋の日本教育会館で「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドル行動~ヤスクニ・戦争・貧困~」と題する集会が開催されました。 参加した750人は、「靖国」をめぐる学者らの発言に耳を傾け、合祀取り下げを求める呼びかけに呼応し、コンサートでは会場が最高潮の盛り上がりを見せました。  →キャンドル行動実行委員会詳報  →レイバーネットニュース詳報

2008年08月10日

東京大空襲訴訟原告団/戦争責任を問い戦後補償を求め平和をつくる集会(台東区民会館)

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  8月10日、東京大空襲訴訟原告団は、重慶大爆撃の被害者と連帯する会・コスタリカに学ぶ会とともに、「戦争責任を問い戦後補償を求め平和をつくる集会」を東京・台東区民会館 で開催、約230人が参加しました。東京大空襲訴訟星野弘原告団長は「空襲の被災者は、実態も調査されず国から切り捨てられた。被爆者ら民間の犠牲者とも連携し、平和運動の潮流をつくりたい」とあいさつ。 自らも空襲に遭い「東京大空襲・戦災資料センター」の館長を務める作家の早乙女勝元さんは、近衛文麿元首相が昭和天皇に終戦を勧めた「近衛上奏文」が 1945年2月に出されたことを挙げ「昭和天皇には戦争を長引かせた責任がある。この時に適切に判断していれば、東京大空襲も沖縄の地上戦もなかった」と指摘しました。 重慶訴訟原告弁護団団長の土屋公献元日弁連会長や軍事評論家で同訴訟の一員でもある前田哲男さん、東京新聞記者の佐藤直子さんをはじめ、 憲法9条を守り、戦争体験を語り継いでいく思いを口々に述べました。

2008年08月09日

被爆63周年原水爆禁止世界大会長崎大会まとめ集会・特別決議

被爆63周年原水爆禁止世界大会長崎大会・まとめ集会

 日本政府は、米軍再編に積極的に協力し、米政府と足並みをそろえ日米軍事一体化を強引に進めています。座間キャンプへの米陸軍第一軍団司令部の移駐、MD防衛導入、原子力空母の横須賀母港化など、「核戦略」の拠点としての軍事強化が進んでいます。私たちは、「被爆63周年原水爆禁止世界大会」を開催し、世界各地で平和と核廃絶に取り組んでいるゲストを迎え、核も戦争もない世界をめざして、東北アジアの平和と非核化の課題など討論を進めてきました。

 このような中で、米海軍原子力潜水艦「ヒューストン」が、佐世保入港時を含めて数ヶ月にわたって放射能漏れを起こしていたことが明らかになりました。06年に横須賀港停泊中の原潜「ホノルル」周辺から放射能が検出されるなど、米原子力艦船に関しては放射能漏れが指摘されてきましたが、今回のように米国側が可能性にせよ公式に認めたのは初めてのことです。米政府は、原子炉を推進力とする原子力艦船について安全であるとの主張を繰り返してきましたが、長期にわたって放射能漏れを起こしていたことは、これまでの主張に信憑性のないことを明らかにしています。

 放射能漏れが4か月も発見されず放置され、日本の外務省への通報も8月1日と事故発見から9日後、また外務省は地方自治体など関係諸機関への通報を翌日とするなど、日米双方で安全管理体制や通報・公表のあり方に問題を残しました。

 事故発覚後も、原子力空母「ロナルド・レーガン」(7/28)や、原子力潜水艦「ラ・ホーヤ」(8/4)が佐世保港に入港するなど、市民生活の安全を無視し感情を逆撫でする米海軍や日米両政府の行為を許すわけには行きません。

 7月19日には、全国から1万5千人を超える仲間を集めて「原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集会」が開催されました。「原子力空母の母港化を許すな」の声は、3時間にわたって横須賀市内に響き渡りました。平和と核廃絶への思いが、全国から多くの仲間を集めました。原子力空母「ジョージ・ワシントン」は、火災事故によって配備予定が大幅に遅れることとなりましたが、米海軍は9月25日配備で調整を進めていると報道されています。火災事故の原因は、乗組員の規則違反とされていますが、日本政府も横須賀市も何ら抗議の声もあげず、原子炉には影響ないとの米国側の説明を鵜呑みにしています。私たちは、このような無責任な姿勢を許すことはできません。

 被爆国日本に住む私たちは、「核と人類は共存できない」ことを基本に「核廃絶」に取り組んできました。広島・長崎の悲劇を、どのような場所においても、どのような理由においても繰り返してはなりません。私たちは、原子力艦船の日本入港を許さないとともに、原子力空母横須賀母港化の撤回を強く要求します。

 全国連帯の力を基本に、本大会を新しい起点と位置づけ、さらなる取り組みをすすめることを全員で確認し、決議とします。

2008年08月09日

被爆63周年原水爆禁止世界大会・大会宣言

被爆63周年原水爆禁止世界大会

 助けてください……。この短い悲痛の声があふれた63年前のヒロシマとナガサキ。生きとし生けるものに史上例のない惨害をもたらし、21万人もの尊い命が数日のうちに失われました。放射能による後遺症は、いまなお多くの人々を苦しめ、二世や三世も健康不安をかかえて生活しています。8月6日と8月9日は、人類にとってけっして忘れてはならない日です。

 ヒバクシャをめぐる課題は、63年後の今も、原爆症認定、在外被爆者、被爆二世・三世、被爆体験者など残されたままです。原爆症認定基準について、4月に厚生労働省は一部緩和しましたが、新基準でもなお被爆距離や対象疾病の限定など制限が加えられています。また、6月には議員立法で被爆者援護法が改正され、手帳取得の「来日要件」がなくなり、海外で交付できるようになったものの、審査などの具体的手続きに問題が残されている上、国交のない在朝被爆者はまったく放置されています。私たちは、国に対して、被爆者の実態を反映した認定制度へと抜本的に改めるよう求めます。また、被爆二世・三世や被爆体験者への援護施策の拡大を行うとともに、日本の戦争責任と戦後補償の問題として、国家補償を明記した被爆者援護法への改正を求めます。さらに、劣化ウラン弾、原子力の商業利用などあらゆる核利用の場でつくられ、増大する世界のヒバクシャとの連帯を強めます。

 人類は、なお2万6000発もの核兵器が存在するなかで、核と戦争の脅威から解き放たれていません。最大の核大国アメリカは、核の先制攻撃戦略と単独行動主義の姿勢を堅持したままです。NPT(核拡散防止条約)未加盟国のインドやパキスタン、イスラエルは核保有しつづけ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核実験やイランの核兵器開発疑惑も起きています。アメリカは、インドの核を公然と認める米印原子力協定の発効をねらっており、これを許してはなりません。私たちは、NPTの形骸化を許さず、2010年再検討会議に向けて核軍縮・核廃絶の動きを強めるよう、日本政府をはじめ世界に求め、働きかけていきます。とくに平和市長会議が提唱する「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」に賛同し、積極的に支援していきます。北朝鮮の核問題をめぐっては、6カ国協議が進展し、核兵器廃棄に向けて動いています。朝鮮半島の非核化と東北アジアにおける新たな共同の平和の枠組みづくりを6カ国が約束したことは世界史的にも重要な転換点です。その実現のためにも、日本政府の北朝鮮敵視政策を改めさせ、日朝国交正常化させなければなりません。

 「原発は地球温暖化防止の切り札」というキャンペーンが、洞爺湖サミットなどで強められましたが、原発依存は、むしろ温暖化を促進する上、そもそも放射能により環境を汚染しつづけるものが地球にやさしいとはとてもいえません。昨年7月の中越沖地震をはじめとした一連の地震は、震災と原発災害が同時に襲う「原発震災」の危険性を示しています。いまこそすべての原子力発電所・施設の安全性について再点検するとともに、柏崎刈羽原発の全面閉鎖をはじめ危険な地域の原発の即時停止を求めることが必要です。また、私たちは、再稼働や操業開始に向けた動きのある「もんじゅ」や六ヶ所再処理工場、プルサーマル計画などのプルトニウム利用政策の転換を求めるとともに、高レベル放射性廃棄物の貯蔵施設建設に反対し、脱原発による「小エネルギー社会」の実現をめざします。

 福田自公政権は、アメリカのブッシュ政権に追従し、「イラク・アフガン侵略戦争」への加担、米軍再編やミサイル防衛(MD)配備の強行、自衛隊の海外派兵恒久化や、憲法で禁じている集団的自衛権の行使の動きなど日米軍事一体化を押し進め、戦争をする国づくり路線をひた走っています。なかでも、9月にさしせまる米軍の原子力空母「ジョージ・ワシントン」の横須賀母港化を許してはなりません。横須賀のみならず、佐世保には原子力空母が頻繁に寄港し、全国各地の民間港へはイージス艦が入港しています。このなかで、米原子力潜水艦「ヒューストン」の放射能もれ事故も明らかになりました。私たちはすべての原子力艦船の日本寄港に強く反対するとともに、非核・平和の政治の実現を求めて全国で連帯の輪を広げます。

 私たちは、核被害を根絶するため、世界のヒバクシャと連帯し「核絶対否定」の思想を広めるとともに、暴力と殺りくがくりかえされる社会を脱して「対話と共存」を基本とした「核も戦争もない21世紀」を実現し、子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。「新たなヒバクシャをつくらない」「核と人類は共存できない」という原点に立ち返り、被爆63周年の大会に参加した私たちの総意として、あらためて内外に宣言します。

 ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・ウォー

2008年08月09日

被爆63周年原水爆禁止世界大会・長崎大会(08月07日~09日 長崎)

 

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被爆63周年原水爆禁止世界大会実行委員会は、8月7日、ヒロシマ大会につづいて 原水禁・連合・核禁会議の共同主催とした「核兵器廃絶2008平和ナガサキ大会」を行い、 長崎県立総合体育館に4,200人の参加者を得て開催しました。 大会は、川野浩一原水禁副議長の「米国とインドの原子力協定など、核をめぐる世界情勢は憂慮すべき事態が続いている。次の核拡散防止条約(NPT)再検討会議へのとりくみ強化を急がなければならない」とのあいさつで開会。 黙とうにつづいて、古賀伸明連合事務局長の主催者代表あいさつ、金子原二郞長崎県知事と田上富久長崎市長の来賓あいさつ、 海外ゲストを代表し、国際労働組合総連合(ITUC)キャンペーン局のクリスティン・ブロムさんのあいさつが行われました。 被爆者の訴えとして、18歳の時に長崎原爆の爆心地から1.8キロ地点にある三菱兵器工場で被爆した築城昭平さんが当時の体験を語り、 「世界中が核兵器の恐ろしさに気付くよう、命ある限り被爆の怖さを訴えたい。子どもたちに核兵器とはどんなものか伝えていきたい」と平和への願いを訴えました。 平和ヒロシマ代表団のピース・メッセージにつづいて、若い世代を代表して高校生平和大使の新旧のメンバーがバトンを絶やさないよう未来につなげる報告と決意。 8月中旬にスイス・ジュネーブの国連欧州本部に核廃絶の署名を届ける江里口泰子さんは「私たちの署名活動で少しでも多くの人が平和な世の中を築こうと思ってもらえたら。署名に託された皆さんの思いをしっかり届けたい」と決意を語りました。 構成詩「親子で綴る平和の願いⅦ」の後、「ナガサキからの平和アピール」を採択し、「原爆を許すまじ」を合唱して、閉会しました。

第2日の8日には8分科会、2特別分科会、5つのひろばと1フィールドワークの他、3団体によるシンポジウムも行われました。

第3日には県立総合体育館でまとめ集会を行い、約2200人が参加。川野浩一大会副実行委員長の主催者あいさつにつづいて、 第11回高校生国連平和大使、核廃絶高校生1万人署名実行委員会からの訴え、 長崎から沖縄へ原水禁平和行進のタスキリレー返還、 海外ゲストを代表し、アメリカピースアクションのジョージ・マーティンさんが連帯のスピーチ。 また、福山真劫・大会事務局長が大会のまとめを報告。「平和と核軍縮などの目標を胸の中の旗に書き込んで、新しい時代をつくろう」と呼びかけました。 原子力空母母港化反対と原潜放射能もれ抗議の特別決議と、「核廃絶の動きを強めるよう世界に働きかけていく」との大会宣言が,それぞれ提案され採択されました。 そして、原爆中心碑公園までの平和行進、11時2分の黙とうを行い、原爆資料館を見学し大会日程を終えました。

ナガサキからの平和アピール  →特別決議  →大会宣言 →日程(pdf)

 

 

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