5月, 2008 | 平和フォーラム - パート 2
2008年05月17日
復帰36年5・15平和行進2日目(東=沖縄市~砂辺・西=読谷村~砂辺・南=摩文仁~南風原)
米軍嘉手納基地に対する行動中心にした東コース2日目は、沖縄市役所前で出発式。 初日を上回る665人が「静かな沖縄を返せ」などと訴えながら、同基地を臨む通称「安保の見える丘」へと出発しました。 出発式では、沖縄市の東門美津子市長があいさつ。 「基地から派生する被害は減らない。市民の安心・安全を確保するため、ともにに声を上げていこう」と呼びかけました。 その後、嘉手納基地を半周して行進、ゲート前、安保の見える丘などで抗議行動を行い、北谷町砂辺馬場公園で西コースと合流。 1300人が参加して「嘉手納基地の機能強化、爆音被害に抗議する決起集会」を行いました。開催地の野国昌春北谷町長は、F15戦闘機が未明に離陸したことなど、 軍事優先の状況を全国に伝えてほしいと訴えました。
糸満市摩文仁の平和祈念公園「平和の火」を起点とする南コースには約800人が参加。 「平和憲法を守れ」「新たな基地建設を許すな」などと繰り返しながら出発。 読谷村役場前から始まった西コースは、約500人が米軍トリイ通信施設近くや国道58号沿いの嘉手納弾薬庫地区のフェンス沿いを歩き、基地の整理・縮小や日米地位協定改定のシュプレヒコールを行いました。 琉球新報1 琉球新報2 琉球新報3 沖縄テレビ
2008年05月16日
復帰36年5・15平和行進出発式(名護市辺野古・名護市役所・那覇市役所)
平和行進は5月16日朝、東西南の3コースに分かれてスタート。 このうち本島南部の戦跡を回る南コースでは約500人が参加して那覇市役所前で出発式が行われ平和を訴えながら糸満市に向けてスタートしました。 あいさつに立った崎山嗣幸実行委員長は「復帰の前後で沖縄のおかれた状況はまったくかわっていない。平和の島実現をめざし、最終日まで平和行進の成功を誓ってがんばろう」と決意を述べました。 読谷村のトリイ基地などをまわる西コースは名護市役所から、普天間代替施設の建設予定地名護市辺野古では東コースの約500人が「新基地建設反対」とシュプレヒコールを挙げながら行進をスタートさせました。
2008年05月15日
復帰36年5・15平和行進結団式-米軍再編NO!辺野古新基地建設許さない全国集会(2008年05月15日 名護市役所前広場)
5月15日で沖縄は復帰36年。戦後60年以上、復帰後も変わらぬ沖縄の基地の実相を告発し、基地のない沖縄の実現をめざす第31回の5・15沖縄平和行進が今年も16~18日に実施されます。 15日夕方には名護市役所前広場に全国参加者を中心に約800人が参加して「復帰36年5・15平和行進全国結団式-米軍再編にNO!辺野古への新基地建設を許さない全国集会」が行われました。 集会では、主催者を代表して実行委員長の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長、 連帯あいさつとして、福山真劫平和フォーラム事務局長、玉城義和北部実行委員長、仲里正弘北部地区労議長、 米軍再編に抗しての全国からの闘争報告が、酒井孝一神奈川平和センター事務局次長、山口県の河林勝岩国市職労青年部長、 長崎県の小森田照彰佐世保市職労青年部長によって行われました。
このうち、実行委員長の崎山議長は、 「米軍再編で軍事要塞化する北部の基地、基地の爆音被害に苦しむ住民、そして基地機能強化による米兵の事件・事故。 これが本土復帰してから36年目の沖縄の現実だ。教科書検定問題など、沖縄戦の歴史を歪曲することも許してはならない。 平和な島を取り戻すために全国の皆さんとともに平和運動を広げていきたい」と話しました。 また、仲里議長は「北部は米軍再編の中心地。米海兵隊のグアム移転が決まったのに、なぜ新基地建設が必要なのか」と訴えました。
2008年05月14日
原子力空母母港化住民投票条例制定全国署名の横須賀市長提出行動(横須賀市役所)
横須賀市民から52,438筆の直接請求署名が提出され、「在日米海軍横須賀基地への原子力空母配備の是非を問う住民投票条例」について 審議される5月16日の市議会を前にした5月14日、横須賀市役所において、制定を要請する全国から緊急に集めた123,887筆の署名を、 藤本泰成平和フォーラム副事務局長が蒲谷亮一横須賀市長に直接手渡し、条例案成立を強く申し入れました。 署名を受け取った蒲谷市長は、「重く受けとめるが、国防に関する問題のため市民の手で決着をつけるのは難しい」と述べ、 条例制定に否定的な姿勢を見せました。
2008年05月11日
原子力空母母港化の是非と安全性を問う住民投票条例の採択を求める首都圏アクション/私たちの訴え
2008年3月6日から集められた署名は、52,438筆。この数字には、多くの思いが込められています。
まず、一回目の条例請求を議会が否決したとき、市民は落胆するのではなく、「この町に新しい風が吹き始めた」と思えたことです。昔から基地の街と言われてきた横須賀に、新たな民主主義が芽生え始めたと言えるのではないでしょうか。そして、もう一度住民投票条例の直接請求をしたい、原子力空母の安全性を説明してほしい、という思いから二回目の直接請求に向けたとりくみが始まりました。
前回を上回る署名数を目標に、受任者を増やすことから始め、最終的には4,058名になり、市内各地で奮闘しました。お母さんたちは、「エプロン持って(横須賀中央駅前)Yデッキへ」を合い言葉に、エプロンを着けて、子どもが安心して暮らせる横須賀にしようとうったえました。青年たちも自分たちが横須賀の将来を決めなければと力をあわせて立ち上がりました。仕事で忙しいなか時間をつくって集めた人、地道に戸別訪問をした人、市外から応援にかけつけた人、できる限り多くの友だちにメールを送って住民投票の必要性と一人ひとりの署名の重要さを訴えた人、様々な人が様々な努力により署名を集めました。
しかし、すべての受任者が最初から積極的にとりくむことができたのではありません。最初は、どのように思われるのか気になって、友だちに署名をお願いできずにいた人も、他の受任者が断られてもへこたれず元気いっぱい呼びかけている姿に力強さを感じたり、また、自ら進んで署名を書いてくれる人や横須賀市外に住んでいるけれど応援してくれる大勢の人たちに勇気をもらうなかで、署名を頼もうと思えるようになりました。一人ひとりが仲間に支えられ、また応援を受けるなかで、より主体的に、より積極的にとりくもうと変わっていきました。
あきらめずに頑張る受任者、自ら署名に応じる大勢の市民、他市に住む応援してくださる方々、この存在が、横須賀に民主主義の風を吹かせていました。
そして、署名を集めた後も市民の思いは冷めません。議会に条例制定を求める世論をつくろうと、宣伝をしたり企画を計画したり、日々動いています。一部の市民だけのとりくみではなく、多くの市民が世代を超えて手を取り合っています。
署名のとりくみは、多くの横須賀市民の「意見を言いたい」「意見を聞いてほしい」という思いの表れです。「いつやるの?住民投票」という言葉は、その思いから自然に市民の口から出た言葉です。また、このような市民の自発的な行動は、憲法を市民みずからの手で生かす実践でもあります。
何としてでも条例を制定してもらおうと署名を2回も集め、そして1回目の署名を上回る数が集まったことは、住民投票をすることが多くの市民の望みであることを証明していると思います。また、基地問題において環境や安全面で第一の被害者になるのは市民です。市民の思いを受け止め、それに応える横須賀市議会であってほしいと思います。
2008年05月11日
原子力空母母港化を問う住民投票条例採択求める首都圏アクション(横須賀ヴェルニー公園)
5月11日、米海軍横須賀基地への原子力空母「ジョージ・ワシントン」配備の是非と安全対策を問う住民投票の実施を定めた条例制定を求めて、ヴェルニー公園で緊急集会「住民投票でゲンキ!原子力空母母港化の是非と安全性を問う住民民投票条例の市議会採択を求める首都圏アクション」が開かれ、2200人が参加しました。主催は、「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」。8月19日の配備まで百日と迫るなか、請求代表者としてあいさつした同会共同代表の呉東正彦弁護士が2回目の条例制定を請求した経過を説明。前回を一万人余り上回った署名数の重みや、これまでのとりくみを報告。条例案は5月16日の市議会で採決が予定されているが、市議会主要会派などは「空母配備は国の専権事項」などとする蒲谷亮一市長の主張に同調する方針を打ち出しており、前回同様に否決される見通し。このため、呉東さんは「今こそ自分たちの町の将来を決め、安全を守る時。否決の危機にあるのは事実だが、あきらめるわけにはいかない。議会での意見陳述や質疑を通して、住民の安全を守るために可決するよう訴えたい」と決意を述べ、議会審議を傍聴するよう呼びかけました。よろずピースBANDの音楽演奏「このヨコスカだから」「住民投票で決めよう!」、52,438名の署名を集めた運動に至る経緯から署名集めの活動までをメンバー自身が振り返る寸劇「ドラマ・住民投票でゲンキ!!-私たちのまちのことは私たちで決めよう!-」で、「空母配備は住民投票で決めよう」との問いに、参加者が「イエス」と書かれたうちわを掲げ気勢を上げるパフォーマンスが行われました。市議会に市民の望みに応えるよう求めるアピールを採択した後、横須賀基地前や京急横須賀中央駅前など繁華街をパレードしました。 →私たちの訴え
2008年05月11日
原子力空母母港化を問う住民投票条例採択求める首都圏アクション
2008年05月06日
9条世界会議(05月04日~06日 幕張メッセ)
5月4日~6日、幕張メッセで「9条世界会議」が開催され、のべ2万人を超える人たちが来訪しました。 初日の全体会には12,000人が参加し、ほか3,000人が会場からあふれました。 2日目の分科会には6,500人が参加し、当日券完売のため500人が入場できませんでした。 この他、3日目のまとめ総会は300人参加。 平和フォーラム/原水禁は、4~5日にブースを開き、核廃絶の壁・木のブロックキャンペーンを行うとともに、 5日午後には、自主企画「東北アジアと米軍再編」を約200名の参加者をえて開きました。 自主企画は、福山真劫平和フォーラム事務局長の開会あいさつにつづいて、 「9条を国際社会の中で復権するために~米軍再編に抗し、脱軍備・協調的安保を目指そう」と題して田巻一彦ピースデポ副代表、 「同盟の再編と東アジア平和のための日韓市民連帯」と題して韓国の李俊揆(イ・ジュンキュ)平和ネットワーク政策室長、 「原子力空母の横須賀配備がねらうもの」と題して、すべての基地に「No!」を・ファイト神奈川の木元茂夫さんがそれぞれ提起したのち、 参加者と若干の質疑を行いました。
→詳細 →田巻一彦副代表レジュメ(pdf) →李俊揆室長レジュメ (pdf) →木元茂夫さんレジュメ (pdf) →9条世界会議全体の報告 →戦争を廃絶するための9条世界宣言(pdf) →核不拡散条約(NPT)再検討準備委員会に対する9条世界会議の声明(pdf) →G8に対する9条世界会議声明(pdf) →9条世界会議 第一次レポート(pdf)
2008年05月03日
憲法施行61周年記念集会(日本教育会館)
5月3日、平和フォーラムは「憲法施行61周年記念集会」を700名の参加者のもと日本教育会館ホールで開催しました。 「改憲手続法」を強行成立させ早ければ2011年にも改憲案発議という自民党の明文改憲構想は参議院の与野党逆転で困難となりましたが、 依然として米軍再編をはじめとした解釈改憲の動きは止まらず「戦争する国づくり」をすすめています。 また、航空自衛隊のイラク派遣は憲法9条に違反するとした名古屋高裁判決が出る状況を踏まえて、9条について改めてその意義と実現に向けて、 「ねじれ国会・政権交代・米軍再編-憲法の今」をテーマに行われました。 集会では、平和フォーラム代表の江橋崇法政大学教授の主催者あいさつと講演「ねじれ国会と憲法構造の変動」、 山口二郎北海道大学教授の講演と提起「民主主義の現状と政権交代への展望」、 米軍基地をかかえる現場からの提起「空洞化する憲法と米軍再編」について、 沖縄から基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんと神奈川平和運動センターの加藤泉事務局長さんのスピーチ、 最後に「武力で平和はつくれない、9条キャンペーン」の訴えを自治労中央執行委員でキャンペーンプロジェクト座長の井加田マリさんが行いました。 このうち、山口教授は「世論調査で9条は改正の必要がないとの声が強まっている。 在日米軍の再編が進めば自衛隊や安保体制が変質し、ますます9条の理念から遠ざかってしまう」と訴えました。
→江橋崇代表レジュメ(pdf) →山口二郎教授レジュメ(pdf)